1月18日は備中松山城が山田方谷により無血開城した日

2017/01/11

慶応4年1月18日(1868年2月11日)に備中松山城が無血開城しました。

戊辰戦争において、朝廷から備前岡山藩に、松山藩の征討令がくだったため、留守を守る山田方谷により無血開城し、備前岡山藩により占拠されました。

備中松山城無血開城の前後の出来事

年月日 できごと
慶応4年1月6日(1868年1月30日) 徳川慶喜大阪城から江戸へ逃走。老中だった松山藩主板倉勝静も付き沿う
慶応4年1月11日(1868年2月4日) 備前藩に松山藩征討がくだる
慶応4年1月18日(1868年2月11日) 備中松山城、無血開城
慶応4年1月22日(1868年2月15日) 熊田恰自決
慶応6年(1873年) 廃城令により廃城処分となる

備中松山城無血開城に関わるその他の記事

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