1月22日は備中松山藩士「熊田恰」の命日

2016/12/09

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1月22日は玉島事変の中、備中松山藩士、熊田恰(くまたあたか)の命日です。

慶応4年1月22日(1868年2月15日)に熊田恰が玉島の西爽亭(さいそうてい)にて切腹しました。

西爽亭

西爽亭は玉島の庄屋をつとめていた柚木家の旧宅であり、板倉家が玉島を訪れた際の宿泊場所として使っていました。

西爽亭にある「次の間」の天井には、熊田恰が自決際についたとされる血痕が残っています。
所在地:倉敷市玉島3-8-25

倉敷市玉島3-8-25

羽黒神社


玉島を戦火から救った熊田恰の死を悼んだ玉島の人々は西爽亭にほど近い羽黒神社のなかに熊田神社を建立し、熊田恰を祀っています。
所在地:倉敷市玉島中央町1-12-1

倉敷市玉島中央町1-12-1

八重離神社

また、備中松山藩主の板倉家の氏神である八重離神社(やえがきじんじゃ)でも、熊田恰を祀っています。
所在地:高梁市内山下120

高梁市内山下120

道源寺

熊田恰の墓は高梁市の道源寺にあります。
所在地:高梁市和田町3994

高梁市和田町3994

玉島事変前後の出来事

年月日 できごと
慶応4年1月6日(1868年1月30日) 徳川慶喜大阪城から江戸へ逃走。老中だった松山藩主板倉勝静も付き沿う
慶応4年1月11日(1868年2月4日) 備前藩に松山藩征討がくだる
慶応4年1月18日(1868年2月11日) 備中松山城、無血開城
慶応4年1月22日(1868年2月15日) 熊田恰切腹

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