2月9日は岡山藩士瀧善三郎の命日

2016/05/10

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2月9日は岡山藩士、瀧善三郎(滝善三郎)の命日です。慶応4年2月9日(1868年3月2日)に神戸事件の責任者として諸外国の列席者の前で切腹しました。享年32歳のことです。

亡くなった場所は同じ神戸の永福寺というお寺ですが、昭和20年(1945年)に戦災で焼失し、その後廃寺となってとある企業の土地となり、現在はマンションとなって跡形も残っていません。

瀧善三郎正信顕彰碑

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永福寺に建てられていた瀧善三郎正信の顕彰碑は現在近くの能福寺に移されています。立て札には神戸事件の犠牲者と記載していますので、神戸の人たちは瀧善三郎がおかれていた状況をよくご存知なのでしょう。さきほど記載したようにある企業の土地に放置されていたものが、地元の方の力でこの能福寺に移転されてました。また、この能福寺は兵庫大仏や平清盛の供養塔があります。

所在地:兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39

兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39

瀧善三郎正信君義烈碑

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岡山藩池田家15代当主、池田宣政侯爵の篆額(てんがく)による滝善三郎正信君義烈碑(たきぜんざぶろうまさのぶぎれつひ)は、生まれ故郷である岡山市北区御津の、七曲神社駐車場奥にあります。

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義烈碑の石碑の裏には滝善三郎の辞世の句が刻んであります。

「きみのふみし
夢は今更引かへて
神戸が宇良に
名をやあげなむ」

所在地:岡山市北区御津金川602

岡山市北区御津金川602

瀧善三郎正信の墓

瀧善三郎のお墓の場所ですが、分骨されたため数カ所にあるようです。
京都妙心寺
岡山市御津にある菩提寺?
→岡山東山墓地?

東山墓地にある瀧善三郎の墓

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瀧善三郎の墓は岡山市中区にある東山墓地の一角にあります。
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瀧家の墓地の中にあり、墓石の横には瀧善三郎の命日である「慶応四年二月九日」と刻んであります。

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東山墓地と言っても35万基あるので、ある程度調べていかないと滝善三郎のお墓は簡単に見つからないです。

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また東山墓地には著名な方の墓が多くありますが、現在はどちらに誰の墓があるかわからない状況です。

神戸事件前後の出来事

年月日 できごと
慶応3年12月7日(1868年1月1日) 神戸港開港
慶応3年12月9日(1868年1月3日) 王政復古の大号令
慶応4年1月3日(1868年1月27日) 鳥羽伏見の戦い始まる
慶応4年1月11日(1868年2月4日) 神戸事件
慶応4年1月15日(1868年2月8日) 明治新政府諸外国との交渉開始
慶応4年2月9日(1868年3月2日) 瀧善三郎切腹

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1月11日は神戸事件があった日

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