5月29日は津山城が競売で払い下げの許可が出た日

2016/12/09

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(写真は津山城)

5月29日は津山城が競売で落札された日です。

明治7年(1874年)5月29日に政府から許可が出され、津山城城郭の建物が民間に払い下げられました。

廃城令

明治6年(1873年)1月14日に明治政府から全国の城郭陣屋に対して廃城令が出ました。

岡山県内では、美作国では津山城と真島城が廃城処分に、備前国では岡山城が存城処分に、備中国では浅尾陣屋、成羽陣屋、足守陣屋、備中高梁城、新見陣屋、岡田陣屋、鴨方陣屋が廃城処分となりました。

存城処分というのは、土地や建物を保存しようということではなく、陸軍の兵営地として城郭や石垣などを整理することで、陸軍省所管の行政財産としますよという意味です。
一方、廃城処分というのは、大蔵省所管の普通財産にしますよという意味です。

ところが、北条県はこの廃城令の前に、すでに明治5年の夏に陸軍省官員の指示により、城郭払い下げの入札をして陸軍省に通知していました。

津山城競売

明治5年6月5日に北条県が津山城の売却の布告を行ったものの、誰も入札に応じていませんでした。

明治6年(1873年)10月25日に北条県より再度の入札の布告がありました。
入札の布告では、建物が対象で土地・石垣・樹木を除いています。

11月15日に入札が行われ、少ないもののかろうじて、入札者がいました。
そこで北条県は政府と協議の上、明治7年(1874年)5月29日付けで政府から払い下げの許可がおりて、城郭建物は1,125円で買い取られることとなりました。

この金額がどれくらいの価値だったかを調べてみると、当時、明治政府首脳の位置づけである参議の伊藤博文、板垣退助の月給が500円です。

払い下げとなった津山城

城郭の取り壊しは明治8年の3月まで行われ、解体された材木の多くは、いかだで吉井川をくだり、瀬戸内の製塩の燃料に使われました。

現存する津山城の門

津山城の城郭の一部は現在の周辺の神社で見ることができます。

中山神社の神門。津山城二の丸にあった四脚門は美作国一宮である中山神社に移築されています。
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大隈神社の神門。津山城内にあった修道館の表門は現在、大隈神社に移築されています。
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津山城廃城と当時のできごと

年月日 できごと
明治2年6月17日(1869年7月25日) 版籍奉還により藩主松平慶倫が津山藩知事に任命される
明治4年(1869年)11月15日 北条県成立(旧津山県・真島県・鶴田県)
明治5年(1873年)6月5日 津山城郭建造物売却布告
明治6年(1873年)1月14日 廃城令
明治6年(1873年)10月25日 2回目の津山城郭建造物入札広告
明治7年(1874年)5月29日 政府から津山城の払い下げ許可が降りる
明治9年(1876年)4月18日 北条県が岡山県に合併される

参考資料:津山市史第六巻(発行所:津山市役所)より

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