9月12日は津山城跡保存運動きっかけの日

2016/05/12

9月12日は津山城跡保存運動きっかけの日です。

明治23年(1890年)9月12日に津山城の本丸北西の腰巻櫓の石垣が大規模崩落しました。このことがきっかけで津山城跡保存のきっかけとなりました。

津山城が廃城となり、明治6年の公売手続きのときに、石垣と樹木は残しておき、しっかり取り締まりし、注意するべきたど大蔵省から指示を受けていました。
廃城後は掃除する者もなく、石垣の隙間に雑草が生えたり、風や雪のため、本来石垣の崩落を防ぐための詰石や裏石が動く状態となってしまっていました。

老朽化した腰巻櫓の石垣崩落により、この石の払い下げを希望するものがいましたが、一層のこと津山全般の利益となるよう、河岸の堤防の石として払い下げてはどうか?と町会議員のなかであれこれ検討していました。

そんななか、岡山県から書記官河野忠三が現地視察に派遣されました。その際に案内役として同行したの矢吹正則郡書記官は、津山城廃城後の城の状況を説明し、現在落石は堤防の石とするよう手続きをしていると話しました。

それを受けて河野忠三はこう語りました。「本丸に行ける程度に道を開いて、落石はそのままにしてはどうか。崩壊のたびに払い下げるようになってしまっては、後に津山城の規模はなくなってしまうだろう。津山城の見事なところは石垣であり、崩壊を待って払い下げをしていこうというのは、津山にとって惜しいことだ」
この話を聞いて感じるところのあった矢吹正則は津山町長の齋藤元を始めとした有志の者にも話し、城跡保存の運動に動きました。

岡山区長を退官し、津山地方を担当する郡長だった手代木勝任にも「津山以外から崩落した石垣の払い下げの申請があっても許可をしないよう尽力して欲しい」と相談しています。
手代木勝任は千坂高雅岡山県知事と話をし、津山城保存に賛成を取り付けました。

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(千坂高雅:画像はウィキペディアより引用)

そして津山城跡と公園として保存するよう、津山城保存会が発足しました。
明治33年(1900年)には鶴山公園として津山町の管理下なりました。

年月日 できごと
明治6年(1873年)10月25日 2回目の津山城郭建造物入札公告
明治23年(1890年)9月12日 津山城本丸北西の腰巻櫓の石垣崩落
明治24年(1891年) 津山城跡保存会発足
明治33年(1900年) 津山城跡を津山町営の鶴山公園とする

参考資料
津山市史(発行所:津山市役所)

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