4月20日は井原市出身の実業家「東洋のビール王」馬越恭平の命日

4月20日は岡山県井原市出身の実業家、「東洋のビール王」馬越恭平の命日です。

井原市の代々医者の家に生まれるも、大阪に出て丁稚奉公から始めて頭角を現し、当時の日本のビールのシェアの7,8割を占める大日本麦酒を誕生させた馬越恭平が昭和8年(1933年)4月20日に亡くなりました。

明治25年(1892年)、経営不振に陥っていたビール会社日本麦酒醸造会社に旧三井物産から再建のため派遣されました。
徹底した合理化でわずか1年で黒字に立て直しています

そして、明治32年(1899年)8月4日には、恵比寿ビールの宣伝のために銀座に日本初のビヤホール「恵比寿ビヤホール」をオープンさせました。当時としてはモダンなお店で、遠方から馬車でくるほど大繁盛しました

カズ
実は「ビヤホール」って和製英語だったの知ってた?
ハレオ
マジか!
カズ
馬渕恭平さんが名前に迷って開店直前にイギリス人に相談したんだけど、この恵比寿ビヤホールがはやりに流行ったんで、それからミルクホールや金つばホールとか似たような名前が流行ったんだって

さらにビール出荷専用の駅「恵比寿停車場」を開設しています。後の恵比寿駅で、このことが現在の地名になっています。

そして、ビール業界は市場競争が激化していたため、ついに馬越恭平が音頭をとって日本麦酒(エビスビール)、札幌麦酒(サッポロビール)、大阪麦酒(アサヒビール)の三者を合併させて、大日本麦酒株式会社を作り社長となりました。

また馬越恭平は地元井原市にも尽くし、井原市と笠岡市を結ぶ井笠鉄道創立時に出資しています。

馬越恭平生家

馬越恭平が生まれ育った家が、井原市木之子町に残っていて、現在は木之子町公民館となっています。
所在地:井原市木之子町618

井原市木之子町618

馬越恭平の墓

馬越恭平の墓は井原市の三光寺の中にあります。
所在地:井原市木之子町5145

井原市木之子町5145

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